フロリダ大学滞在記
前 川  覚     
    
  



 1997年3月から12月まで約10ヶ月間、文部省在外研究員として、フロリダ大学に滞在させてもらいました。今まで、2年間のフランス滞在をはじめ何度か海外渡航をしましたが、どういう訳かアメリカへ行く機会が無く、ぜひともアメリカへ行ってみたいと思っていました。今回幸いにも、私同様ヘリウムから磁性に研究分野を変えてきた旧知のMark Meisel 教授がいるフロリダ大学へ行く機会を得ることができました。多くの凶悪事件や強大な軍事力などから、アメリカに対してはヨーロッパに比べ、あまりいい印象は持っていませんでしたが、マスコミから得ていた情報と行ってみての印象は大違い、多くの思い込みは払拭され、好印象を持って帰国することになりました。


 フロリダ大学のあるゲインズビルは、フロリダ半島の付け根あたり、西のメキシコ湾へも東の大西洋へも車で1時間あまりのところにあり、アメリカ南部最大の都市アトランタから飛行機で南へ1時間です。フロリダでは山を見ることができず、大平原や大森林、なだらかな丘陵地帯がつづき、その中に多くの湖沼が点在しています。緯度的には日本の屋久島あたりになり、6月末から9月にかけては猛烈な暑さの上、湿度も京都に勝るとも劣らぬ蒸し暑さでした。しかし建物内は全館冷房完備であり、暑さに強い私にはそれほど苦になるものではありませんでした。周りの木々はオークなどの常緑樹がほとんどで、紅葉や落葉も少なく、9月が終わっても秋が来たという感じはなく初夏に戻ったという感じでした。ゲインズビルの人口はたったの10万人、大学関係者が約半分を占め、また、大学付属病院や退役軍人病院など大きな病院が4つもあり、大学と病院の町という感じでした。 ゲインズビルは1996年に、ある経済雑誌でアメリカで最も住みやすい町に選ばれたそうです。



  フロリダ大学は京大創設に遅れること8年、1905年に設立されたフロリダ州で最も古く、最も大きな総合大学とのことで、現在、学部生約3万人、大学院生7千人、教職員4千人を有しています。京大のそれぞれの人数、1万4千人、7千人、5千人と比べると学部生は倍ほどですが、院生、教職員数はほぼ同規模であることがわかります。物理学教室の建物の横には200m四方くらいの芝生が広がり、たくさんのリスが走り回り、心を和ませてくれました。フロリダの湖沼や河川には、フロリダ大学のシンボルでもあるアリゲーター(ワニ)が生息し、大学内の池レークアリスにも数匹生息していました。動物園で見るアリゲーターはお腹がボテボテに膨れ、1日中じっとしていますが、自然のアリゲーターはそれなりに動いてくれ、恐怖心も少し刺激され、見ていて退屈しません。いつ行っても5,6人の家族ずれやカップルが見物に来ており、地元の人達にとってもやはり見応えのある対象のようです。池に垣根はなく、平生は悠然としてのろそうなアリゲーターですが、瞬発力があり、4〜5m以内は危険なようで、犬や幼児が襲われることもあるとのことです。滞在中、隣町オカラで大人がアリゲーターに襲われたというテレビニュースがありました。不運にも川でボートから飛び込んだらアリゲーターの上だったとのことです。 自然のアリゲーターは保護されていますが、人を襲うと射殺されます。口をテープで巻かれた死体は警察の大型トラックをはみ出す程大きなものでした。また、郊外にある大学の野外レクレーション施設の大きな池では50m四方ほどだけが柵で囲まれ、そこが人間用の遊泳場になっていました。実際、その池のあちこちでアリゲーターを見つけました。


 フロリダ大学では主にMeisel教授、そのDCの院生Garrett君と、1次元S=1反強磁性体におけるハルデン状態の鎖端の効果についての磁化とESR実験の解析やかごめ格子反強磁性体であるジャロサイト化合物の研究をおこないました。大きな体で早足に建物内外を闊歩するMeisel氏は気が短く、気を損ねぬよう気を使うこともありましたが、議論は単純明快で要領よく、ハイテンポで事が運び、気持ちのいいものでした。生活面でも随分と世話になりました。一方、Garrett君は彼とは対照的におとなしく物静かでしたが、研究熱心な院生でした。3人での論文作成はいろいろと参考になりました。アメリカ人にとっては母国語での論文作成なので、我々日本人よりもかなり楽だろうと思っていましたが、やはり論文は内容が第一であり、アメリカ人にとっても論文作成は容易ではないことを知りました。


 物理学教室の建物に隣接して、フロリダ大学が世界に誇るマイクロケルビン研究所が建っています。建物は一階建てでそれほど大きくありませんが、この建物は地上部分よりも地下部分の方が大きいのが特徴です。室内には長さ4.6mの巨大なデュアーに入った希釈冷凍機が3台並んでいます。それぞれのデュアーは、地階から3本の長さ4mのコンクリート支柱で支えられ、クライオスタット上部のメーンフランジ部分が、一階で人間の操作に適した高さになっています。この部分は四畳半位の電磁シールドルームで囲まれ、測定器が並んでいます。コンクリートの支柱は、除振のため建物から独立した5トンのコンクリートブロックにアンカーされ、支柱内部は磁場の影響を受けぬよう鉄筋ではなくグラスファイバーで補強されているそうです。希釈冷凍機はオックスフォード社製で、その下に取り付けた銅などの核断熱消磁でマイクロケルビン領域が得られ、固体、液体Heや金属核磁性、その他低温物性の測定がおこなわれます。この研究所には、私が大学院生時代に固体3HeのNMR実験をおこなっていた時、同じ分野の研究で名前をよく知っていたSullivin教授や、低温で固体Heの実験を行うための必需品で私も大学院時代利用した静電容量型圧力計を開発したAdams教授、低温物理国際会議で討論時、演壇に腰をかけて司会をしていたことを印象深く覚えているIhas教授、物性研から行かれた日本人の高野教授、それにMeisel氏が物理学教室と併任して研究を行っています。No.2のクライオスタットでは高野さんとAdamsさんのもとで日本人院生のM君がhcp固体3Heの磁気相図の測定をおこなうべく日夜実験に励んでいました。また、No.3のクライオスタットには国立高磁場研究所との共同研究としてB=20Tの超伝導マグネットが取り付けられ、試運転がおこなわれていました。PrNi5の核断熱消磁によりT=500uKまで冷却し、世界最大のB/T比を目指しています。このクライオスタットの初回冷却には900リットル、つぎ足しには300リットルの液体4Heを必要とするとのことです。日夜試運転に奮闘している中国人技官のXiaさんは500MHzで3HeーNMR信号が見えたと言って喜んでいました。マイクロケルビン研究所では隔週で研究状況を報告し議論するmeetingが開かれており、私も参加させてもらっていました。


 Sullivin教授は物理学教室の主任をされていましたが、ある日、液体3He中の金属アンチモン微粒子の核磁気緩和時間についての論文を書いたので見てくれと頼まれました。2mKまでの緩和時間を測定した長文の論文で、昔私がやったテフロン微粒子に吸着した3He液体の表面緩和の実験を思い出しながら久しぶりにHeの論文を読みました。その中でいくつかの疑問点が見つかり、 Sullivin教授と長時間の議論をすることになりました。Sullivin教授は事務的仕事でなかなか物理を楽しむことができないと嘆きながら、議論する時は、急ぎの用のみ電話してくるようにと秘書に言い残して、主任室から逃れて私の部屋に来て時間を作っていました。


 博士論文審査の公聴会に2,3回出席する機会がありました。向こうの公聴会はdefenceと呼ばれていることにまずびっくりしました。研究発表に対する審査員からの攻撃を防御すると言うことのようです。指導教官から申請者の履歴等の紹介があった後、40〜50分間、申請者の発表があり、その後質疑応答がおこなわれます。会場には審査教官5人の他、院生や教官等数人が出席しています。ここまでは日本の公聴会とほとんど変わらないのですが、大きく異なるのはこの後です。発表後の質疑応答では、審査員以外の人たちからの質問のみで、それが10分ほどで終了すると、申請者と審査員5人を残して、他の人たちは退席させられます。その後、審査員による綿密な質疑が行われるとのことであり、これがなんと1〜2時間続いていました。なぜ、審査員による質疑が秘密会で行われるのかたずねると、実質的な質疑ができるようにだとか、申請者に恥をかかせないためだとかの返答でしたが、あまり納得できる回答は得られませんでした。試験というニュアンスが強いのかもしれませんが、実質的には公聴会にかかればほとんどパスするとのことでした。


 大学院生は2回生終了の頃、日本での修士論文公聴会に当たるものが、一斉にではなく、defence同様、各人個別に行われます。この審査会も審査員5人と一般出席者の前で30〜40分の発表の後、質疑応答が行われます。滞在中、低温分野の院生の審査会がありました。その質疑応答で理論の審査員から「その実験をして何がおもしろいのか?」という質問がなされ、院生は返答に窮し、出てきた返答は「まだこれについて実験データがないから実験します。」というものでした。これではちょっとまずいのじゃないかと思い、「かくかくの興味がありますが、君の実験とはどんな関係がありますか。」と助け船を出してあげましたが、あいにく彼はそれにも適切な返答ができませんでした。発表内容は良かったし、中間発表でよいのだと聞いていたので合格だろうと思っていたら、その後、審査員の協議で、私の質問内容は良い質問だったということで、それに回答するレポートを提出したら合格させるという条件付き合格になってしまいました。助け船のつもりだったのにまずかったかな、そもそもdefence同様私はあの時点では退席しているべきだったのだろうかと心配していましたが、指導教官からも本人からも感謝されほっとしました。


 渡米に際し、私は日本語OSをインストールしたMacのパワーブックを持参しました。日本語でemailができるように、また日本語での書類作成が必要になるだろうということからでした。フロリダ大で部屋をもらうとすぐにフロリダ大のコンピュータにLAN接続をさせてもらいました。期待通り何の問題もなく、日本語で emailやインターネットが可能になりました。フロリダ大でもアカウントをもらいましたが、日本との通信には京大のメールアドレスをそのまま使い、私が京大のサーバーへ受信メールを取りに行くという形で使いました。おかげで日本の人たちからは日本語で通信できると言って喜ばれると共に、宛先も京大のままと言うことで本当にアメリカに居るのかと言われました。日本の学会前には院生との通信で徹夜することもあり、院生や共同研究者、大学事務関係、自宅との通信等、送受信したメールの総数はなんと1,300通となりました。emailの発達で通信がとても便利になりましたが、逆に、外国へ行っても日本から逃れにくくなりました。しかしまた逆に、簡単に通信できるから気楽に外国へ行けるとも言うこともできるでしょう。


 フロリダ大学も州立ですが、フロリダ大学(University of Florida)とは別にゲインズビルの北西約300kmのタラハッシーに、フロリダ州立大学(Florida State University)があります。ここには両大学およびロス・アラモス国立研究所と共同の国立高磁場研究所があります。ここはかなり大きな研究所であり、45Tの超大型超伝導磁石や33Tの常伝導磁石が開発中であり、また100-1000Tのパルス磁場や、NMR用の34T磁場可変超伝導磁石が稼働中でした。


 ゲインズビルの南にはペイネス・プレーリーと呼ばれる大平原が広がり、州の自然保護区になっており、広大な大自然を楽しむことができました。昔はこの大平原にアメリカンバッファローが居たそうですが、今はビジターセンターの剥製でしか見ることができません。地平線の彼方まで広がる草原、飛び交う野鳥、スペイン人開拓者が苦労したであろう巨大な木々や灌木の茂る原生林など自然あふれるアメリカをうらやましく思っていましたが、帰国後、環境ホルモンで奇形が見つかったのはフロリダのワニが最初だと聞き、信じ難い思いでした。


 フロリダはレジャーとしてカヌーが盛んです。最初、カヌーに誘われたときには急流下りかと思い、このなだらかなフロリダに急流があるのかと意外な思いがしました。予想は大外れ、川は原生林の中のほとんど流れのない川でした。前後2人乗りのカヌーで、甲羅干しをするたくさんの亀やカワウソ、見慣れぬ水鳥、まれにはワニを眺めながら、自然のままの穏やかな川をジャングル探検のようにゆったりと進んでいきます。日本では全く味わえない心安らぐ正にリラックスできるレジャーでした。川を上流に向かって進んで行くと、なんと同じ川幅のまま突然川が行き止まりで無くなってしまいます。正にここが川の起点で、川底から地下水が湧き出て川が始まっているのです。この水は北隣ジョージア州の山岳地帯から約500kmも地下を流れて湧き出しているとのことです。実際、フロリダにいる10ヵ間、真夏の毎日1時間程の夕立を除けば、いわゆる雨天は5〜6日しかありませんでしたが、フロリダの水は豊かな地下水でまかなわれているとのことでした。ドイツからPobell教授が来られたときにも、Pobellご夫婦、Ihasご夫婦と共にカヌーを楽しみました。また帰国直前、送別会としてMarkがまた別の川へ連れていってくれました。12月だというのに爽快な川遊びができ、泉のわき口でスキューブダイビングを楽しんでいる家族連れもありました。


 7月4日はアメリカ独立記念日です。ゲインズビルの町でも盛大に前夜祭が行われ、とても印象的でした。大学構内の芝生のグランドで夕方から野外オーケストラが演奏され、数千人の学生や家族連れが、教会ボランティアのコーラや屋台のハンバーガーを食べながら演奏を楽しんでいました。やがて日が暮れると盛大に花火が打ち上げられ始めました。軽快な耳になじむ行進曲を聴きながら、芝生に寝転がって次々と打ち上げられる華麗な花火を見ていると不思議と心躍り、体までうずき、アメリカ人ならずとも、アメリカのためにがんばるぞという思いになってきました。オーケストラと花火が終わると人々は皆満足した笑顔で家路に向かいました。翌、独立記念日当日は狙い定めてのアメリカ火星探索機の火星到着。ボストンでの記念式典と共に火星到着がマスコミで大々的に報じられ、独立記念日を一段と盛り上げる演出は大成功でした。この独立記念日の演出のみならず、アメリカでは至る所でまだまだ旺盛なフロンティア精神とアメリカンドリーム、そしてそれを鼓舞する雰囲気を感じ、発展への活力を感じ、これが多くのノーベル賞学者やビル・ゲイツを生み出す土壌なのだと感じました。 それに比べ、日本から入ってくるニュースは猟奇的殺人事件や不正行為ばかり、しかもそれらを報じるマスコミは関係者がいかに悪者であるか、という報道ばかりで、互いに人をたたき合って喜んでいる風潮と閉塞した社会を感じずにはおれませんでした。努力を賞賛し、成功を共に喜ぶ雰囲気を日本の社会はもっと作るべきでしょう。


 フロリダ大学内には立派な自然史博物館と美術館がありました。そこにはフロリダの地形の成り立ち、化石、巨大な鮫の骨、また開拓史やインディアンの風俗、現代芸術品などが展示され、にぎわっていました。また、各地に自然史博物館、科学技術博物館、コンピュータ技術展示館等がありました。もちろん圧巻はワシントンの航空宇宙博物館、アメリカ歴史博物館、自然史博物館、美術館等を含むスミソニアン博物館群ですが、各地のものも十分見応えがあるものでした。これらのものを見ていると教科書からは得られない、自然の神秘さ、科学の偉大さ、先人の努力を感じ、見る者に夢と希望を与え、努力する意欲を沸き立たせてくれます。京大にもやっと博物館ができました。理系離れの問題のみならず、人々、特に若者にもっと知的好奇心を刺激するものを身近に用意し、夢と希望と努力の喜びが感じられる環境を作っていくことが必要であるとつくづく感じました。


 単身赴任で生まれて初めて自炊をし、食生活は惨めなものでしたが、非常に有意義なアメリカ滞在を送ることができました。このような機会を与えてくださった文部省、京大の関係者の方々、またいろいろとお世話になったMeisel氏をはじめフロリダ大学の方々にこの場を借りてお礼申し上げます。


 
(京大広報 No.528 1998年10月 一部掲載)     
 (京都大学極低温研究室月報 第73号 1998年 一部掲載) 
  

前川覚のホームページ へ戻る

修04.12.6 作98.8.31