現在までの研究成果説明
前 川  覚   

 これまで、主として核磁気共鳴(NMR)法を実験手段として、固体・液体Heの量子物性、および各種磁性体の磁性に関して研究を行ってきた。それらは以下の7項目に分類される。

(1)固体HeにおけるHe原子の量子力学的運動と3He核スピン緩和機構の研究
 極低温、加圧下でのみ存在する量子固体Heについて、3Heの核スピンー格子緩和時間T1の測定と解析を行い、融解現象における原子空孔の役割、および33Heと 4Heの混合固体におけるトンネリング運動の機構を解明した。また、固体3Heにおける核スピン−格子緩和機構と各種の熱浴の存在を明かにし、微量の4Heがそれらに及ぼす効果を解明した。

(2)微小空間に局限されたフェルミ液体3Heの研究
 希釈冷凍機を用いて、10mKから1Kの超低温温度域でテフロン微粒子の間に閉じ込められた液体3Heにおいて、動的核偏極の実験に初めて成功するとともに、テフロン中の19F核と電子、ならびに3Heの間の磁化移行の機構を明らかにした。 また、局限された液体3Heのスピン−格子緩和時間T1とスピンースピン緩和時間T2の測定から表面に吸着する3He原子のトンネリング運動と核スピンの緩和機構を解明し、核磁化の測定から、吸着3Heに関して第1層が固体であるという性質を見いだした。

(3)フラストレーション効果をもつ競合系反強磁性体における磁気秩序とスピン揺動の研究
 ハイゼンベルグ型三角格子反強磁体ABX3(A=Cs, Rb, B=Ni, Mn, X=Cl, Br, I)について、133Cs核や87Rb核のNMRスペクトルとT1を測定し、逐次相転移や三角スピン構造とその揺らぎについて明らかにした。さらに、120゜秩序相における6磁気副格子に基づくスピン波の低エネルギーモード(スウィンギングモード)が寄与する2マグノン緩和過程の存在を明かにした。
 また、イジング型反強磁性体CsCoCl3について、133Cs核の核磁気緩和の機構を調べることにより、部分無秩序に伴う非線形磁壁ソリトンの存在とソリトンが対で伝播するという特異なスピン励起の運動を明らかにした。
 さらに、フラストレーション効果がより強いかごめ格子反強磁性体であるジャロサイト化合物 RFe3(OH)6(SO4)2 、[R=NH4, Na, K] について、NMRや帯磁率、磁化の測定さらに中性子回折実験から、ジャロサイト化合物が異方性の効果により縮退が解け、有限温度で相転移を起こすことを明らかにし、秩序相でq=0、カイラリティ=+1の120°スピン構造をとることを明らかにした。また、スピン格子緩和時間の測定から、かごめ格子反強磁性体におけるスピン波の存在を初めて見いだし、核スピン緩和が2マグノン過程により起こっていることを示した。
 スピンが1/2であるかごめ格子反強磁性体においては量子効果が寄与し、フラストレーション効果と相まって、古典スピンかごめ格子とは大きく異なるスピン液体状態や共鳴原子価(RVB)状態が出現するとの理論的予想がなされている。この新奇な量子状態を観測するために、Cu2+イオンがかごめ格子を形成している有機金属錯体化合物 {Cu3(titmb)2(OCOCH3)6}・H2O を合成し、磁化測定とNMR実験を行っている。10K以下の低温域で特異な磁気励起が存在していることを見い出した。

(4)一次元反強磁性体における量子多体効果に関わる磁気励起と緩和機構の研究
 整数スピン一次元ハイゼンベルグ型反強磁性体(ハルデン系磁性体)で、基底状態と励起状態の間にエネルギーギャップが存在するという理論的予測についての実験的検証を目的として、Ni(C2H8N2)2NO2(ClO4) (略称NENP)において、1HのNMRスペクトルとTの測定を行い、熱活性化型の緩和機構が存在することを示すとともに、エネルギーギャップ(ハルデン・ギャップ)の存在とその磁場特性を明らかにした。また、同様にハルデン系磁性体であるNi(C3H10N2)2N3(ClO4) (略称NINAZ)について磁化と電子スピン共鳴(ESR)により、有限の長さの一次元鎖の場合に鎖端がハルデン状態に及ぼす効果を明らかにした。
 他に、基底一重項系磁性体RbFeCl3で熱活性化型の緩和機構の存在を見い出し、また、ハイゼンベルグ型反強磁性体 (CH3)4NMnCl3におけるスピン波の散乱による緩和機構を明かにした。さらに、S=1/2の二重鎖系反強磁性体γーLiV2O57LiのT1の測定から、低温で緩和率がlogT依存性を示すという理論的予測を検証した。

(5)少数キャリア強相関電子系についての研究
 強相関電子系化合物であるYbAsやYbSb等について、プニクトゲン原子核のNMRスペクトルと緩和時間T1の測定から、伝導電子や電子の空孔と4f磁性イオンの電子状態の混成に起因する特異な相転移を見い出すとともに、極低温温度域でコリンハ関係式が成り立つことを見いだし、少数キャリアー系であるにもかかわらず、重い電子系物質であることを明らかにした。

(6)ナノサイズ分子磁性体の研究
 スピンs=5/2のFe3+イオン8個を含み、合成スピンS=10を持つナノサイズ分子磁性体Fe8におけるメゾスコピック磁性、特に巨大スピンの量子トンネル現象を超伝導量子干渉磁束計(SQUID)や核磁気共鳴(NMR)法、ミュオンスピン共鳴(μSR)法を用いて研究をおこなった。スピン・フォノン相互作用による、電子スピン系の離散的エネルギー準位間の遷移や、300mK以下の温度域における巨視的磁化の共鳴量子トンネル現象の観測に成功した。
 また、10個のスピンs=5/2のFe3+イオンが反強磁性相互作用を持って環状につながり、合成スピンがS=0になっているナノサイズ分子磁性体Fe10における量子力学的性質や緩和現象について研究を行っている。
 これらの物質は分子1個が独立なナノ磁石として振る舞い、記憶素子やナノテクノロジーへの応用の観点からも興味深い。

(7)その他
 うさぎの眼球の網膜下へ生理食塩液を注入して、網膜剥離を作成し、網膜下腔内圧および硝子体内圧を精密に測定することにより、生体眼における網膜と眼底との接着力を測定・評価する新しい方法の開発、理論的解析に協力した。



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修正07.6.1、作製1998.8.31