研究内容



 物質の温度を下げていくと、物質を構成する原子や電子等の粒子の乱雑な熱的運動が静まり、熱的運動によって隠されていた粒子の性質や相互作用・運動が現れてくる。相転移現象やスピン波などの素励起、また超伝導や超流動現象がその例である。我々は、液体窒素や液体ヘリウム、さらに 3He-4He希釈冷凍機を用いて、物質を絶対零度近くに冷やし、物質の磁気的性質、特に電子スピンや核スピンの運動や相互作用、多粒子系が織りなす協力現象、量子力学的現象について、主として核磁気共鳴(NMR)法を用いてミクロな観点から研究を行っている。
 具体的には、相互作用が競合する三角格子反強磁性体やかごめ格子反強磁性体(フラストレート系)、量子効果の大きい磁性体、低次元磁性体、重い電子系物質、ナノスケール分子磁性体等を対象に、新奇磁気状態の探索やスピン秩序形成過程、新奇量子現象、磁気秩序相の構造、緩和機構、揺らぎ、励起等について研究を行っている。
 我々が主として実験手段として用いている核磁気共鳴(NMR)法は、最近医学の分野でも人体の断層写真を撮る磁気共鳴映像法(MRI)としても応用されているものである。これは物質内の原子核に高周波電磁波を照射してエネルギー共鳴を起こすことにより、スピンの静的・動的性質についての微視的情報を得る手段である。
 また超伝導量子干渉計(SQUID)を用いた磁気測定や、PPMS装置を用いた極低温・磁場中での比熱測定も行っている。
 実験室には地球磁場の20万倍の高磁場を発生する超伝導磁石や、絶対温度20mKまで冷やせる冷凍機、800MHzまでの高周波パルスを発生できるNMR装置が稼働している。
 低温技術、エレクトロニクス技術、コンピューター技術を駆使して、物質のミクロな世界の解明を目指している。

 現在、文部科学省 科学研究費補助金  特定領域研究「フラストレーションが創る新しい物性」の 計画研究「「幾何学的フラストレート磁性体の新奇秩序」の 研究代表者として大型研究費を受け、 全国、海外の研究者と協力して活発な研究を展開している。


現在の研究テーマ

(1)競合系磁性体におけるフラストレーション効果の研究

 通常の磁性体では、スピン間の相互作用が熱的揺動に打ち勝ったとき、スピン間相互作用により協力的に長距離秩序が形成され相転移が起こる。ところが三角格子反強磁性体やかごめ格子反強磁性体の様にスピン間相互作用そのものが競合している場合には、秩序化が抑制され、新しいタイプの相転移や新しい秩序相が発現する。転移温度の降下、120度スピン秩序構造、逐次相転移、スピン液体状態、新奇な量子秩序状態、新しい臨界指数、低温におけるスピンの大きな揺らぎ、特異なスピン励起などがその例である。
 この様なフラストレーション効果を持つ競合系磁性体の相転移現象や磁気状態、スピンの動的性質について研究をおこなっている。

 (1ー1)三角格子反強磁性体
 正三角形をなす格子点上の3つのスピンが互いに反強磁性相互作用を持っていると、温度が下がっても安定な秩序状態になれない。すなわち、2つのスピンが反平行に配列すると3つ目のスピンは先の2つのスピンの両方に反平行になることができない。これが三角格子反強磁性体におけるフラストレーションの最も簡単な例であり、相互作用の競合と呼ばれるものである。我々は、三角格子反強磁性体としてABX3型化合物や[Pd(dmit)2]系有機金属錯体分子物質を取り上げ、研究を行っている。

 (1−2)かごめ格子反強磁性体

     

 かごめ格子反強磁性体は三角格子反強磁性体以上にフラストレ−ション効果が大きく、基底状態が無限に縮退し、無秩序による秩序化やネマティク秩序、カイラルドメイン、またRVB 状態やスピン液体状態など新しいタイプの秩序相や、特異なスピン励起が現れてくることが予想されている。さらにこの様な系では量子性が大きな効果をもたらす可能性が指摘されている。
 古典スピン系かごめ格子反強磁性体のモデル物質として、ジャロサイト化合物 RM3(OH)6(SO4)2 、(R = NH4, Na, K、M=Fe, Cr)を取り上げ、研究をおこなっている。
 また、スピンが1/2である量子スピン系かごめ格子反強磁性体においては量子効果が寄与し、フラストレーション効果と相まって、古典スピンかごめ格子とは大きく異なるスピン液体状態や共鳴原子価(RVB)状態が出現するとの理論的予想がなされている。この新規な量子状態を観測するために、Cu 2+イオンがかごめ格子を形成している有機金属錯体化合物 を合成し、磁化測定とNMR実験を行っている。

 (1−3)パイロクロア型化合物におけるスピンアイス・カゴメアイス状態

 (1−4)5f 電子系磁性体におけるフラストレーションと近藤効果

 

(2)メゾスコピック磁性体
 最近の物質技術の進歩により、3d遷移金属イオンが複数個含まれた分子によって構成されている磁性物質が合成されるようになってきた。これらの物質においては、分子内の磁性イオンは強い交換相互作用によって結合しているため、低温で1分子は1つの合成スピンで表され、さらに分子間の相互作用は極めて弱いため、単一磁区のナノスケール磁石(メゾスコピック磁性体)と見なすことができる。このような微小分子磁性体は、ミクロな世界の量子物理学からマクロな世界の古典物理学への移行の様子を探る上で、大きな手がかりとなる物質である。当研究室では、このようなメゾスコピック分子磁性体の代表例である、通称Fe8やFe10の磁気的性質を、主として核磁気共鳴法を用いて研究している。こうした研究は、微小磁気記憶媒体としての工学的応用、ナノテクノロジーや、生体内磁気物質の機能の解明とも関係している。

 (2−1) Fe8

Fe8 cluster    tunneling image




 Fe8は、上図に示すように8個の鉄イオンを含む分子磁性体であり、基底状態は合成スピンS=10で表される。このスピンは低温において、磁気異方性によって生じる二重井戸型ポテンシャルにより、磁気容易軸に平行または反平行の向きをとる。高温においては、熱揺らぎによるエネルギー障壁の乗り越えによって磁化の反転が起こるが、低温では、量子トンネル現象による通り抜けが支配的となる。この様な極低温における磁化の量子力学的現象を、核磁気共鳴法を用いて研究している。

 (2−2) Fe10

 Fe10は10個の鉄イオンがリング状に並んだ分子磁性体で、フェリックホイールと呼ばれている。鉄イオンは反強磁性結合し、一次元反強磁性リングを構成している。磁気的性質は等方的なハイゼンベルクモデルで記述され、基底状態の合成スピンは0で、低励起エネルギー準位は離散的だが、高励起準位はほぼ連続的とみなせる。このようにエネルギー準位に離散性と連続性、つまり量子性と古典性をあわせもつのは、この分子がメゾスコピック磁性体であることによる。こうしたエネルギー準位の離散性と連続性が、磁化や核磁気緩和に及ぼす影響について研究している。
Fe10 cluster

 (2−3) フェリ磁性リング
  2種類の大きさの異なるスピンが交互に反強磁性的に結合したフェリ磁性体は、マクロには磁化が存在し、反強磁性的性質と強磁性的性質が共存している。強磁性体や反強磁性体については多くの研究がなされてきたが、フェリ磁性体についてはあまり研究が行われていない。フェリ磁性体におけるスピン励起を明らかにするために、実験を行っている。

(3)低次元磁性体
 一次元や二次元スピン系は、普通の三次元スピン系とは著しく異なる性質を持っている。整数スピン一次元ハイゼンベルグ型反強磁性体におけるハルデンギャップや、ジグザグ型、はしご型磁性体におけるスピンギャップやスピン揺動など、低次元系磁性体におけるスピンの多体効果や量子効果について研究を行っている。

(4)重い電子系物質
 4f電子系物質における四重極秩序や近藤効果、スピンの揺らぎについてNMRや中性子回折により研究を行っている。
 


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修07.6.1 作1998.8.31